「((ひと))があります」 の例文(れいぶん) 動詞(どうし)
むかしむかし、おじいさんとおばあさんがありました。


「わたしはくるまがあります」 *1
「わたしは午後(ごご)、ようじがあります」
「わたしにはたいせつなかぞくがあります」

【みんなの日本語】では、
9()で 所有(しょゆう)意味(いみ)の「わたしはカメラがあります」が出てきて、
わたしは(くるま、おかね、やくそく、ようじ、しごと、じかん)があります」を(なら)います。

(人)は〜があります の(ほか)の例文をいくつか紹介(しょうかい)します。
「あります」の(まえ)には

人・・・かぞくが、こどもが、
物・・・カメラが、くるまが
(こと)(event)・・・やくそくが、ようじが、パーティーが、デートが、
抽象的(ちゅうしょうてき)な事・・・じかんが、せきにんが、けいけんが
などがきます

それらが実際(じっさい)使(つか)われるときは、
「わたしには せきにんが あります」
「わたしには けいけんが あります」
「わたしには たいせつな かぞくが あります」 など、「〜には」となることが(おお)いですね。
初級の教科書(きょうかしょ)にはいろいろ自然(しぜん)じゃないところがあります。

*1の「わたしはカメラがあります」は、あまり()わないような()がします。
「わたしはカメラをもっています」と言うほうが自然ではないでしょうか。動詞のて(けい)をまだ
勉強していないので、この(ぶん)(あと)で勉強するのですが、このゆうずうのなさ、が
文型(ぶんけい)()み上げによる学習(がくしゅう)方法(ほうほう)弱点(じゃくてん)です。


「公園(こうえん)()どもがいます」
「公園に(いぬ)がいます」
「公園にベンチがあります」


「〜に()(もの)〜が います」 
「〜に(もの)が あります」
これらは初級(しょきゅう)(はじ)めに、存在(そんざい)(あら)わす文型(ぶんけい)として
()てくる文ですね。
【みんなの日本語】では、10課でこれらを勉強します。

「子どもは公園にいます」とのちがいは学習(しゃ)をなやますのですが、
これはここではとりあつかいません。


さて、私の()きな音楽(おんがく)グループに「「いきものがかり」があります。

その(はじ)めのところを引用(いんよう)します。


Yell                                            

        Words & Music by Yoshiki Mizuno

Watashi wa ima doko ni aruno”to

Fumishimeta ashiato o nandomo mitsumekaesu

Kareha o daki akimekumadobe ni
Kajikanda yubisaki de yume o egaita


ほかにも昔話(むかしばなし)のいちばん初めにこんな()い方があります。

昔むかし、おじいさんとおばあさんがありました


「います/いる」は(ふる)い日本語では、「(すわ)る」「()んでいる」の意味(いみ)

使(つか)われることが(おお)く、「ゐる」によって「存在する」を意味する例があまり

なかったのです。「をり/をる」で存在を(あら)わし、ふつうは「あり」が存在の意味に

使われていた、という歴史(れきし)があるそうです。また、「をり」には、けんそんの意味

もあったのですが、これは、(いま)でも使われていますね。「ごぶさたしております」など。



さて、(つぎ)音楽(おんがく)グループ、いきものがかりの「Yell」についてです。

作詞者(さくししゃ)水野(みずの)良樹(よしき)さんの()はどれもすばらしいですね。

「わたしは いま どこに いる の」としたら、

(みち)にまよって、地図(ちず)を広げている情景(じょうけい)()かびますが、

「わたしは いま どこに あるの」としたら、存在そのものを()(かん)じになりませんか。

「いる」のほうが「ある」より 時間(じかん)でみたとき、みじかい感じがしますよね。

これについては、またいつか。


何十回(なんじゅっかい)と、()いた(きょく)ですが、

(あたら)しい()づきがあって、めでたし、めでたし!

(英語(やく)はしばし、おまちくださいませ)